交通事故では、肩は非常に衝撃を受けやすく、複雑な構造を持つがゆえに、様々な重篤な怪我を負う可能性のある部位です。
特に、衝突時にハンドルを握りしめていたり、シートベルトによって肩が強く引っ張られたり、あるいは車外に投げ出される衝撃などで、肩の骨や関節、筋肉、靭帯、神経、血管に過度な負担がかかります。
肩の怪我は、腕を上げる、物を取る、服を着るなどの日常生活の基本的な動作に深刻な影響を及ぼし、長期的な機能障害につながることも多いため、早期の正確な診断と適切な治療が不可欠です。
交通事故による「肩の怪我・痛み」
交通事故における肩の怪我の種類
肩は、上腕骨、肩甲骨、鎖骨の3つの骨と、それらを複雑につなぐ多くの靭帯、そして「腱板」と呼ばれる重要な筋肉群(棘上筋、棘下筋、小円筋、肩甲下筋)によって構成されています。交通事故の衝撃は、これらのいずれにも損傷を与える可能性があります。
1. 肩関節脱臼
肩関節脱臼は、交通事故による肩の怪我で最も頻繁に発生するものの一つです。特に、腕を伸ばして手をついたり、肩に直接的な強い衝撃を受けたり、あるいはシートベルトで体が固定された状態で肩が強く引っ張られたりすることで、上腕骨頭が肩甲骨の関節窩(かんせつか)から外れてしまう状態です。
- 症状:
- 突然の激しい痛み: 脱臼した瞬間に耐え難いほどの痛みが走ります。
- 肩の変形: 肩の丸みがなくなり、不自然な形に変形しているのが目視できます。
- 腕が動かせない: 自力で腕を動かすことが困難になります。
- しびれ: 神経(特に腋窩神経)が圧迫されると、肩から腕にしびれや感覚の麻痺が生じることがあります。
- 特徴: 脱臼と同時に、靭帯損傷や、肩甲骨の一部(関節窩縁)の骨折(バンカート病変)、上腕骨頭の一部が陥没する骨折(ヒルサックス病変)などを合併することがよくあります。自力での整復は危険であり、必ず医療機関で正しい処置を受ける必要があります。整復が遅れると、神経損傷のリスクが高まったり、再脱臼しやすくなったりすることがあります。
2. 骨折
肩を構成する骨(鎖骨、肩甲骨、上腕骨)の骨折も、交通事故では多く見られます。直接的な衝撃、あるいは転倒して手をついた際の衝撃が肩に伝わることで発生します。
- 症状:
- 激しい痛み: 骨折部に強い痛みが持続し、少しでも動かすと激痛が走ります。
- 著しい腫れと変形: 患部が大きく腫れ上がり、骨折の状態によっては肉眼で分かるほどの変形が見られることがあります。
- 皮下出血: 広範囲にあざができることがあります。
- 機能障害: 腕を上げられない、支えられないなどの症状が見られます。
- 開放骨折: 骨が皮膚を突き破って外に露出するケースもあり、感染のリスクが高く、緊急手術が必要です。
- 種類:
- 鎖骨骨折: 交通事故で最も頻繁に発生する骨折の一つで、シートベルトによる圧迫や、肩への直接的な衝撃で発生します。
- 上腕骨近位端骨折: 肩に近い上腕骨の骨折で、高齢者に多いですが、交通事故などの高エネルギー外傷では若年者にも発生します。
- 肩甲骨骨折: 肩甲骨は頑丈な骨ですが、高エネルギー外傷でないと骨折しにくい部位です。骨折している場合、他の重篤な怪我(胸部外傷など)を合併している可能性が高いです。
- 特徴: 骨折の部位や種類によっては、神経や血管の損傷を伴うこともあり、早期の診断と治療が非常に重要です。
3. 腱板損傷(腱板断裂)
腱板は、肩関節を安定させ、腕を上げる動作に重要な役割を果たす4つの筋肉(棘上筋、棘下筋、小円筋、肩甲下筋)の腱の集合体です。交通事故による強い衝撃や、肩関節脱臼に伴い、腱板が損傷(部分断裂や完全断裂)することがあります。
- 症状:
- 肩を動かす際の痛み: 特に腕を上げる動作(挙上)や、特定の方向へ動かした際に痛みが強まります。
- 夜間痛: 寝ているときに痛みが強くなることがあります。
- 挙上困難: 腕を十分に上げられない、または力が入らないといった筋力低下が見られます。
- 「ジョリジョリ」といった軋轢音がすることもあります。
- 特徴: スポーツによる損傷とは異なり、交通事故では健康な腱板でも急激な外力によって損傷します。MRI検査などで損傷の程度を評価し、重度の断裂では手術が必要となることがあります。
4. 肩関節周囲の靭帯損傷・関節唇損傷
肩関節は、その可動域の広さから、多くの靭帯で安定性を保っています。交通事故での強い外力により、これらの靭帯や、関節の縁を補強する関節唇(かんせつしん)が損傷することがあります。肩関節脱臼に合併することが多いです。
- 症状: 肩の痛み(特に特定の動作時やひねった時)、引っかかり感、不安定感などが現れます。
- 特徴: レントゲンでは異常が見られないことが多いため、診断にはMRIなどの詳細な画像検査が必要となる場合があります。放置すると肩の不安定性が残ったり、慢性的な痛みにつながったりすることがあります。
5. 神経損傷(末梢神経損傷、腕神経叢損傷)
肩周辺には、腕や手の感覚や運動を司る重要な神経(腋窩神経、鎖骨下神経など)が走行しています。交通事故による骨折や脱臼による圧迫・牽引、あるいは直接的な衝撃によって、これらの神経が損傷する可能性があります。特に、腕神経叢(わんしんけいそう)という、首から肩を通って腕に分布する神経の束が損傷すると、腕や手の広範囲にわたる麻痺やしびれが生じることがあり、非常に重篤な状態です。
- 症状: 肩から腕、手にかけてのしびれ、感覚の麻痺(感覚がない、鈍い)、異常感覚(ピリピリ感、焼けるような痛み)、重度の場合は腕や手全体の動かしにくさや麻痺などが現れます。
- 特徴: 神経損傷は回復に時間がかかることが多く、後遺症として残る可能性もあります。早めの診断と治療が重要です。特に腕神経叢損傷は専門的な治療が必要です。
6. 胸郭出口症候群の誘発・悪化
胸郭出口症候群は、首から腕に向かう神経や血管が、鎖骨や肋骨、筋肉によって圧迫されることで、肩、腕、手の痛みやしびれ、だるさなどを引き起こす病気です。交通事故の衝撃、特にむち打ち症によって首や肩の姿勢が変化したり、周囲の筋肉が緊張したりすることで、この症候群が誘発されたり、既存の症状が悪化したりすることがあります。
- 症状: 肩から腕、手にかけてのしびれ、痛み、だるさ、冷感など。特定の腕の挙上動作で症状が悪化します。
- 特徴: 診断が難しく、他の頸部や肩の怪我との鑑別が必要です。
交通事故による肩の痛みの特徴と注意点
交通事故による肩の怪我や痛みは、その特性上、特に注意すべき点がいくつかあります。
- 重篤な合併症のリスク: 鎖骨骨折や肩甲骨骨折は、その直下に肺や血管、神経があるため、気胸や血管・神経損傷などの重篤な合併症を伴う可能性があります。また、肩関節脱臼も神経損傷を合併することがあります。
- 機能障害の重篤性: 肩は非常に大きな可動域を持つ関節であり、日常生活(着替え、洗髪、調理、車の運転など)や仕事で多用する部位です。わずかな機能障害でも、生活の質に甚大な影響を及ぼします。
- 初期症状の見落とし: 事故直後は、興奮状態にあるため、痛みやしびれに気づきにくいことがあります。しかし、放置すると症状が悪化したり、回復が遅れたりする原因になります。特に、見た目では分かりにくい腱板損傷や靭帯損傷、神経損傷などが見過ごされやすい傾向があります。
- 慢性化・後遺症のリスク: 肩の怪我は、適切に診断・治療されないと、慢性的な痛み、関節の可動域制限(いわゆる「四十肩・五十肩」のような症状)、筋力低下、しびれや麻痺などの後遺症が残りやすい部位です。特に腱板断裂や関節唇損傷は、後遺症のリスクが高いです。
- 早期の専門医受診の重要性: 交通事故による肩の痛みや怪我は、自己判断せずに速やかに整形外科(特に肩関節専門医)などの専門医を受診することが極めて重要です。レントゲンだけでなく、CT(骨折の詳細な評価)やMRI(腱板、靭帯、軟骨、神経の評価)、超音波検査などを組み合わせて、損傷の部位や程度を正確に診断し、適切な治療計画を立てる必要があります。特に、神経症状や強い痛みが持続する場合は、迅速な対応が必要です。
- 法的・補償問題: 交通事故による怪我の場合、治療費、休業補償、後遺障害の認定など、保険会社とのやり取りが必要になります。事故との因果関係を明確にし、今後の補償問題に適切に対応するためにも、早期の受診と詳細な診断書の作成が不可欠です。肩の可動域制限や筋力低下は、後遺障害の認定において重要な評価項目となります。
交通事故に遭われた場合、肩周辺にわずかでも痛みや違和感がある場合は、決して軽視せず、必ず医療機関を受診してください。特に、強い痛み、腫れ、変形、腕が動かせない、しびれや麻痺がある、呼吸が苦しいといった場合は、緊急性の高い状態である可能性もありますので、すぐに受診しましょう。早期の専門的な対応が、適切な回復と将来的な機能維持、そして生命の安全を守るために最も重要です。